対馬丸記念館 ~学童疎開は次の戦力を確保するため!~

「対馬丸」ご存じですか?

やっと集めた写真。
子どものお顔が並んでいるのは辛いです。

国策として学童疎開をさせられて、
その際にアメリカの潜水艦に魚雷を打ち込まれ、
乗っていた人たち約1700人ほどが亡くなりました。
(今でも人数が新たに付け加えられています。)

一般の方もいましたが、「学童疎開」でしたので、
亡くなった方の多くは子ども。 
近くには、台風もいました。
夜の暗い海、それも台風で波立つ海に、
運搬用の船の高い手摺りを乗り越えられず、
大人に海に投げ込まれた子どもたち。

筏で1週間後に100kmあまり離れた島に流れつき
奇跡的に助かった人もいました。
その中には9歳の子どももいました。 

しかし、やっと助かったのに、
真っ先に連れていかれたのは警察。
そこで、「対馬丸のことは何も話すな」と
箝口令をしかれ、書類にサインまでさせられたそうです。
生きて帰ってきたのに、辛い日々が待っていたのでした。

記念館の1階には、やっと集めた子どもたちの写真。
こんなにも子どもの顔ばかり並んでいることが
本当に悲しいです。

国策で学童疎開を決めた3つの理由にも腹が立ちました。
安全な場所へ疎開させて命を大切に守るというよりも、①軍の食料の確保、
②戦闘の足手まといになる高齢者や女性、子どもなど住民を退避させ、
③果てしなく続く戦争の次の戦力となる子どもを確保するのが
真の目的だったそうです。
あまりにも酷い、命を命と思わない、戦いの道具としか考えていない軍。
これが戦争なんですね。
戦争は、人の心を狂わせます。

自分と同じくらいのこどもたちが 
このように戦争に巻き込まれて命を落としていたことを知り、
板橋の中学生にも自分ごととして考えて欲しいと思います。

平和でなければ、自分の夢を叶えることはできません。
どうしたら平和な未来になるのかを考え、努力してほしい。
まさに平和のための「不断の努力」を普段から、です。

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