先日、ある集会で「子ども食堂」についてお話をさせていただきました。
こちらでも、その内容を紹介いたします。
この8年の活動の中で、様々なことを課題として認識しましたが、
その中でも強く感じたことの1つが、「孤独」「ひとり」ということです。
「無縁社会」そして「自己責任」…さまざまな言葉が、社会の中で生み出されました。
特に私は、子育てをしていることもあり、「子どもたち」「小さきもの」から常に目が離せませんでした。
子どもを産み、育てている中で、自分の子どもだけではなく、よその子のことも、とても気になります。
みんな幸せに、豊かな子ども時代を過ごし、成長してほしいと願わずにはいられません。
東京都の調べでは、今、7人に1人の子どもが相対的貧困であるとのことです。
その前は6人に1人でしたので、改善されたとはいえ、この数字は世界から見ても、とても残念な数字です。
私は以前より「第3の居場所」の大切さを思い、そのような場が大事だと考えてきました。
特に、子どもにとっては、1日のほとんどを過ごす学校では、いじめなどトラブルもあり、緊張状態にあるお子さんもいます。
親からの虐待・DVがあったりすると、自宅が必ずしも安全な場所とは限りません。板橋区の状況をみると、親からの虐待・DVは残念ながら毎年増えており、児童相談所への相談でも、DVが一番多くなっています。
今後、板橋区でも板橋区の児童相談所をつくります。
しかし、現在は、北区にある北児童相談所が、板橋区、北区、荒川区 3区の担当となっていますが、北児童相談所の相談の半分は、板橋区となっています。
また、虐待・DVをするのは、残念ながら、母親が圧倒的に多くなっています。
昨今は「ワンオペ育児」という言葉も生まれています。
これは「ワンオペレーション」からの言葉で「代わりがいない、一人ぼっちの育児」という意味ですが、それだけ、子育てに悩み苦しむ親がたくさんいて、今も増えている、ということです。
そんな時、豊島区で友人が「あさやけ子ども食堂」を始め、何度か お手伝いや見学に行きました。
そして、板橋にも是非作りたいと思いました。
みなさんは、「子ども食堂」って、聞いたことがありますか?
では、実際に子ども食堂に行ったことがある方は?
関わっている方はいらっしゃいますか?
「子ども食堂」というのは、最初は、大田区にある八百屋「だんだん」で始まりました。 (「だんだん」は島根県の方言で「ありがとう」という意味です。)
「子どもが、ひとりでも食べに来られる食堂」という意味で、「子ども食堂」と名付けたそうです。
この子ども食堂、「食堂」という名前が付いていますよね。
ご飯が食べられます。でも、営利目的ではありません。
子どもは100円とか、無料とか、子どもと一緒に保護者の方も来てもいいよ、と言うところも、たくさんあります。
子ども食堂だから、子どもだけが行く場所、というのとは違います。
近所の独り暮らしの高齢者の方もどうぞ、とか、
障がいをお持ちの方も、持っていない方もどうぞ…とか、その子ども食堂で、参加できる人も、料金も、どんな風に活動しているかも違います。
NPOが、採算が取れる形で運営しているもの、食堂やレストランが月に1、2回、地域にお店を開いているもの、場所を借りて定期的にボランティアでおこなっているもの、と、様々です。
こうしないといけない、という定義はありません。
練馬バプテスト教会を会場に、早い段階から行っている子ども食堂もあります。
徳丸キリスト教会では、子ども食堂に準ずる形になると思いますが、食事は出さずに、おやつを出し、水曜日の午後を子どもたちに開放し、毎回30人前後の子どもたちが遊んだり宿題をしたりしています。
私が初めて立ち上げに関わったところは、前野町にありますが、高校生までの子どもは無料、大人は300円です。
予約もいりません。夕方5時開場です。
早い時間帯 午後6時くらいは幼稚園の親子が来て、午後7時を過ぎると保育園の親子がたくさん来ています。
子どもだけで来ているお子さんもいますし、家族が待ち合わせて、会社帰りのお父さんも来て家族でご飯を召し上がる方、「3日ぶりに人と話した」という ひとり暮らしの高齢者も参加したりします。
様々な障がいをお持ちの方も、交流・体験の場として来ています。
話は少し戻りますが、先ほどあげた「相対的貧困」についてですが、この日本に「貧困なんてあるの?」 と思われる方もいるかもしれません。
ここでいう貧困は絶対的貧困、戦後の状態やアフリカなどの飢餓状態とは違います。
「相対的貧困」とは、所得の中央値の半分を下回っている人の割合で、つまりその国の所得格差を表しているものです。
ぱっと見てもわかりません。隠しています。隠すことが出来ます。
そして、子どもの貧困は、子どもだけが貧困なのではなく、「子育て世帯の貧困」です。親の貧困なのです。
そして、私が理解している「貧困」は、経済的なことだけではなく、時間の貧困、心のゆとりの貧困、情報の貧困、体験の貧困など全てに繋がっています。
経済的に困っていなくても、「貧困」の状態があります。
今は、共働きを前提に結婚する人がほとんどです。
ですから、板橋区も、保育園を造っても造っても、待機児童が出ています。
共働きをしなければ、生活ができない、また新しく買ったマンションのローンを支払うためには、共働きをせざるを得ない、払えなければ住んでいられない…、
また日本は教育にお金がかかります。塾やお稽古に通うお金もバカになりません。
働かざるを得ない環境がたくさんあります。
その一方、働きに出て収入は増えても、今度は忙しい、疲れているなど、帰宅も遅くなり、ワークライフバランスも崩れ、ご飯もゆっくり食べることができない、子どもと出かけることが出来ない、などという状況が生まれています。
子育て中の親、イクメンは増えているものの、それでもまだ子育ては母親が中心で、ワンオペ育児も多く、自分は温かいご飯を食べられない、立ったまま食べる、食べたかどうかわからない状態で、味もわからない、など、心身ともに負担は多くなり、余裕もなくなります。
こういうことも、先ほど紹介した母親からの虐待が増える要因になっていると思われます。
せめて、月に1度か2度、子どもと一緒にテーブルを囲んで、温かいご飯を食べてもらいたい、片づけをする時間をなくする分、くつろぐ時間をもってほしい、子どもとお話ししてほしい、などの思いが子ども食堂を始めるにあたり、ありました。
これは、自分の子育ての経験からの思いでもあります。
この3月には、高島平に、「まいにち子ども食堂」ができました。
365日毎日、朝7時から夜の8時まで、いつ来ても良く、3食対応しています。
春休みやお休みの日は、子どもたちが朝から遊びに来て、
お昼は家に帰ってご飯を食べて、またやってきます。
あれ? ちょっと変ですよね? 子ども食堂でご飯食べないの? です。
他の子ども食堂と、逆の現象ですよね。
子ども達が、「居場所を求めている」ことがよくわかる事例だと思います。
同じように、精神障がいのある方も居場所が少なく、
まいにち子ども食堂にお手伝いにやってきて、自分の居場所にしています。
不登校のお子さんや、不登校経験者もきています。
ご飯を一緒に食べていると、普段聞けない一言を聞くことができます。
そこから、支援に結びつくこともあります。
他人と交わり、つながり、夢が描けるようになります。
就職に結び付いている人もいます。
「子どもたちのために」と動きながら、大人の繋がりも生まれ、大人にとっても自分が必要とされる居場所となっています。
「子ども食堂」という名の、「みんなの居場所」です。
「食」を入り口、切り口としたつながりの場、支援につなげる場、そして安心できる居場所が、今求められています。