70回目の夏 

今日は敗戦記念日。

昨夜は、安倍総理の戦後70年の談話があった。

「積極的平和主義を高く掲げ」とは、まさに「安保法制」を錦の御旗にしている。

この総理の描く未来には戦いしかないのかと、ただただ残念に思った。

70年前、
罪もない多くの日本国民が命を落とした戦争が、やっと終わった。

大人も子どもも、死ななくてもいい命が たくさん失われた。
戦地では戦いでなく、飢餓で多くの兵の命が失われた。
そして、沖縄での上陸戦、広島、長崎には原爆が落とされた。
敗戦の前日には空襲。

玉音放送の数分前にも、特攻隊の青年が飛び立った。
敗戦後1年先まで、台湾には従軍慰安所が残っていた。
あちこちに、この日常に地獄があった。
そして原爆による放射線の影響は、今なおたくさんの方を苦しませている。

苦しみは日本人だけではない。
なんと多くの人が戦争に命を、生活を人生を翻弄されたことか。

来年は、戦後71年と言えるのだろうか?
10年後、戦後80年と言えるのだろうか?

平和をダシにして、戦争をしようとしている人たちがいる。

70年前長崎で原爆を体験した人は、平均80歳以上となり、
今、戦争を体験していない人の方が多くなってしまった。

自分が手を汚さなければ、苦しまなければ、
誰かが戦ってくれたら、それでいいのだろうか?

自分が幸せだったら、自分以外の人は、この先の人生で
戦争で苦しんでもいいのだろうか?

「平和」
今、この日本では表裏一体の意味をもって使われている。

私は戦いのない平和を望む。

今日のこの日、自分の小ささを痛感すると同時に
平和を実現するために どうぞ用いてくださいと祈ります。

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